このガラスの写真をアップすると「子供の頃に住んでいた団地がこんな感じだった・・・。」「実家がこのガラスを使っていた・・・。」「まだこのガラス使っている・・・。」そんな意見を沢山頂きました。
昔の量産ガラス。古い家には今では手に入らないという「お宝」が眠っている。
でも、「お宝」という表現は他人事で表現できる人の無責任な表現かもしれない。
パーツを写真で見ると「お宝」に見える。
でも、見慣れて生活している人からすると、この古いモノはまずリノベーションの対象になる。
その気持ちは痛いほど理解できる。自分がそうだったから。
どうやって「お宝」の輝きを磨きだすか。
活かすのが嫌なら、モチベーションが下がるなら無理に残す必要はない。
不便をどう取り除くか。
モチベーションが上がる為の鍵は何か。
そこにリノベーションの魂が必要になる。
誰かの行いや価値観を否定するものでもない。
好みは人それぞれ。それを尊重するのもリノベーションだと思っている。
ただ、自分が行う向き合うモノには自分の選択、決断に何度も問い直す。
これがクライアント様の為になる答か。
新しく取り替えるのがリノベーションではないはず。
省エネという「エコ」の為に古い物を捨て去るだけの考えは「エコ」ではないはず。
建物の使い方と向き合い、カウンセリングを重ね、考え抜けば何か大切な答えに辿り着くはず。
考えよう。
悩んでも、向き合おう。
考えよう。
挑戦しよう。