今日も暮らしに風情を
古びた時に美しくなるかどうか
そこで大切になるのは「手入れのし甲斐」
時々手入れすることで
それに応えてくれる素材がある。
時々手入れすることで
時間と共に味わいが増し、深みが生まれる。
時間を溜め込んだものに囲まれる豊かさ
これが「手入れのし甲斐」
何でも手に入る時代だから、ずっと使い続ける事もカッコいいという世界観を選択肢の一つとして残せるように。
不完全な美・枯れた美などの「風情」を大切に奥行きのある静寂を愉しめる家族の情景を描きたいと思うのです。
旧い家の不具合すら魅力と生かす世界観
「月」と「雨」
日本の美意識・空間構造の本質を再構築
明るく元気な太陽「陽」ではなく、どちらかというと暗い「陰」のイメージ、自ら光を発していない闇夜の中の月。晴れの日ではなく、どちらかというと嫌われる雨の日。その方のちょっと陰で憂鬱、心が落ち込んでしまいそうな「月と雨」のような日常と向き合い、「その方の心が動き続けるワクワクする日常とは?」を手仕事を通じて問い続ける。不完全な美、枯れた美を追い求める審美性。
Another kind of renovation
旧い家に悩む方の為、旧い家の劣化・傷・今あるものを生かし、工夫を加えて趣ある“雰囲気”を残すリノベでワクワクを造ることを追求してきました。これを「残りものリノベ」と名付けました。残りもののRUSTIC感をちょっと生かしてちょっとMODERN に空間を編集しているこのリノベの言葉をずっと探していました。 その意図を例えると必要に応じてアナログレコードの音質にあるような心地よいノイズを入れたいと思っているのです。それが不快な不協和音とならないように心がければ日常のうるおいにつながると思うのです。僕はお仕事として傷を残し日常に心地よいノイズが発生する引っかかりをつくろうとしているのかもしれません。
どんな暗闇の中にもきっと澄んだ明るさはある
あえて「残りもの」という言葉を掲げる。
残りものは「寂びもの」
「こんな旧い家を診てもらうのが恥ずかしかった・・・」
「こんな旧い家を相談するのが恥ずかしかった・・・」
月と雨 建築舎に相談してくださる方々が共通して口にされる言葉です。
勇気を持ってお問合せ頂いているのだと思います。
「立派な古民家」は現代では残される方向に向かうでしょう。でも、「名もない普通の旧い家」はどうでしょうか?
一般的に価値がないと判断される「名もない普通の旧い家」は、月と雨にとって「誰の目にも止まらず残ったものにこそ、とてつもなく自由に広がる発想が潜んでいる」という価値のお家です。
誰の目にも止まらず残った「残りもの」は、枯れた美のある「寂びもの」なのです。
そしてその寂びものは、侘びた創作をする上で重要な素材になるのです。
なぜ旧い家?
→ 今あるものを生かせるから。
それは、日本の住宅産業の事情から築年数の新しいものよりも旧い家の方がお金をかけずに「今あるものを生かして」工夫すれば“雰囲気”が容易に出せるからです。
「豊かな不便」も少し残して
心を豊かにしてくれる生活って「不便さも愉しめる」ことが大切のような気がします
現代の便利な家にはない「不便さや足りないもの」の魅力や面白さを
普通の旧い家にある、直しながら使い続けた先の美を
便利が飽和している日常に、少しばかりの「不便」も残し
非日常的不便さ(かっこよさ)を面白がりましょ。
残りものは「寂びもの」、侘びた創作の素材
なぜ旧い家?
→「隙」や「風情」があるから。
今あるものを生かす基準は
少しばかりの「非日常や不便さ」そこにこそ宿る「ゆたかさ」を大切に
旧い家の持つ「隙」や不完全な美・枯れた美などの「風情」です。
南北の風通しを確保して
日本的なる美意識、回遊とたまりの「間」をデザインし
凝縮と拡がりの行動的空間リノベで日常に風情を設計・施工致します。
小さく計画して質を上げる
余情 と 間
屈折 と 暗示
幽玄
小さく計画する分
予算をかけて質を上げる
暮らしの質を上げるのは開口部の構成
風情は枠周りに込めます
ものかげをあえて残し見尽くされるのを防ぎ
見えないものを暗示させる美意識を再生させます
空間角部を移動し
次々に見てゆく行動的空間
意識空間を大切に暮らしの質を上げてみたいと思うのです。
美意識は 開口部 と あかり に宿る
回遊 と たまり
不規則という曖昧さ
凝縮 と 拡がり
今あるものを生かすには
既製品の寄せ集めでは成り立ちません
全ての開口部をデザインし
大工さんと建具屋さんと既存のお家に合わせて建具を枠から構成していきます。
せっかくお金をここにかけるのだから
そこが上質な暮らしにつながる風景の起点となることを意識しています。
美意識を凝縮させるデザインと職人の技術
枠周りの収まりを起点に上質を織り込みます。