1950年・60年代の住居特性 [リノベ知識]

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時代背景を理解して間取りを見直す。今に活かせる生活の魅力が再発見できる。

時代背景を理解してリノベの改善ポイントがわかる。

この年代の構造特徴を理解してリノベの耐震補強計画の方向性が立てられる。

Contents

繋がり重視の家族向け・たまにたのしむ静寂をつくる床座文化の住居

家族以外の人を迎えやすく、大切な家族との繋がりも築けます。プライバシー重視は行き過ぎた部屋の機能わけを強めました。その為、個室からの解放、繋がりをプランする現代はまさにこの年代の間取りの延長に回帰しているように思えます。

戦後、声が筒抜けて密室にできない障子や襖といった建具で仕切る日本の住居文化は「悪・時代遅れ」とされてきましたが、江戸時代までは家族のプライバシーというものは必要なく家族が集まって食事をし、集まって寝ていました。秘密話をする時は建具を開けは放ち、周囲に人がいないことを確認しながら話ていたというのが正しい文化です。「時代遅れ・悪」とされたこの日本の住居文化は、個室からの解放・繋がりを求める現代プランの理想形として可能性を見出していると思います。

また、この年代は「床座」文化が残っています。流石に床座が全て良いとは言い切れませんが、少なくとも「落ち着く時」「考え事をする時」「ゆっくり話し合う時」などは床に座って話すということを今あらためて行ってみると、椅子座とはまた違った効果があることに気づくと思います。

戦後日本の名建築が解体されている流れの中で

近年、戦後日本の名建築が次々と壊され建て替えられていることが懸念されます。近代建築は歴史も浅く「古民家」領域の文化財的保存指定がまだされていないのがその要因の一つのようです。

その流れの中で、ヴィンテージ住居(中古住宅)市場も戦後日本の住宅の遍歴を正しく理解し、売る側、買う側がメリット・デメリットを正しく共有することが中古住宅流通を活性化させる正しい近道だと思いました。その為に個人的にまとめてきた情報ですが、少しずつ整理していきたいと思います。

そして、こんな時代背景の中だからこそ、「モダニズム」の影響を受け挑戦的で未来的、エネルギー溢れるゆたかな住居が眠っています。個人的には1960年代の住居の中に価値のあるヴィンテージ住居があると思っています。

日本の時代背景

1960年9月 カラーTVの本放送開始

1963年1月 「鉄腕アトム」TV放送開始

1964年10月 東海道新幹線開通・東京オリンピック

1966年 ビートルズ来日

1960年代後半初頭にマイカーブーム

駐車場の問題

今では敷地に最低2台駐車場が当たり前。だけど、1960年後半から駐車場が確保されていく。

当時はもちろん1台分。

最初に普及したのは1000CCクラスなので駐車場スペースも小型。もちろん屋根があったとしても当時はハイルーフ車は無いので低い。

道路の問題

1954年から道路整備5ヵ年計画

1960年代の道路は現代に比べて狭い。

1960年代当初の姿が残っている住宅周辺は道路が狭い可能性がある。

クーラーの普及

電気容量の問題

クーラーが普及し始めたのが1950年代、クーラーという名称から分かる通り、当時は冷房機能のみ。

1965年の普及率は2%

現代のように各部屋1台のエアコン普及に比べると住宅全体の電気容量が驚くほど小さい。

(概略)1950年〜60年代の住宅事情

1960年代は大都市における勤労者の住宅不足が大きな社会問題となっていたようです。合わせて、郊外の無秩序な開発、道路、公園、上下水道が何も整備されていないところに突然住宅が建てたれた。と、あります。

建築基準法の背景

住宅不足という状況の中で、これまで受け継がれてきた時間のかかる伝統工法から合理的で効率的な住宅を整備していく目的も含めて1950年(昭和25年)に建築基準法が制定されました。

災害と住宅遍歴

1948年

福井地震の被害をうけて法制化 → 1950年建築基準法制定

1964年

新潟地震で起きた液状化現象の被害をうけて →木造建築でも基礎部分をコンクリートにすることが義務付けられた。

1968年

十勝沖地震

住宅の構造遍歴[50年代・60年代の構造]

1950年代の構造

「基礎」

底盤のない基礎が主流。コンクリートの仕様は義務ではありませんでした。

「筋交いの固定」

「柱の固定」

かすがい

1960年代の構造

「基礎」

底盤があるが「無筋」でよかった

(1964年〜)新潟地震以降、基礎部分をコンクリートにすることが義務付けられた

広島の場合、基礎コンクリートに特徴がある

「基礎」のことで合わせて特筆すべきは広島という地域性。

「海に近い地域では、コンクリートの砂に“海砂”が使われていた時代がある」ということ。

日本は骨材資源に恵まれた国ではあるが、当時のコンクリート需要をまかなう為、1955年頃にはすでに海砂が使用されていたという事実が残っています。日本建築学会では1957年に細骨材中の塩分許容量を定めているが、この許容量はあまりにも厳しく、また一方で適当な分析の為の測定器も整備されていなかった為に、九州・四国・中国地方などを中心に海砂使用が急増する中で有名無実化していった。

1977年JASS条件付き緩和・建設省0.04%指定

1986年塩化物総量規制へと流れていく。

このようなことを踏まえて、この年代の基礎の劣化状況の確認は大切だと考えています。(これはあくまで個人的な意見ではあります。)

耐震補強を考える時のポイント

無筋コンクリート造の基礎は鉄筋コンクリート造の布基礎と抱き合わせることにより補強が最善の策。

そのような予算的余裕がない場合

個々の耐力壁の負担外力を減らし

無筋コンクリート造の基礎に課題な入力が生じないように計画することが大切。

局所的に強い壁を用いず

耐震要素をバランスよく配置すること。

断熱材の施工

1980年以前の木造住宅は天井・床下共に無断熱の仕様が多いです。

マンションブーム

1963年〜1964年 第一次マンションブーム

1960年代にもう一度 第二次マンションブームが起きている。

1950年〜60年代の古い家の魅力

日本の文化が海外の建築家によって発掘され見直された後、逆輸入された“消していくディテール”の「モダニズム」の全盛期。装飾を排し、簡素で機能性や合理性を重視する科学技術を根拠にした建築。鉄やガラス・コンクリートに代表される工業化された材料が普及し迎えた全盛期時代。過去の様式にとらわれない未来を見据えた挑戦がされている熱い時代でもあります。その流れから次第に地域性が失われていった時代を迎えましたが、まだこの年代は広島の地域性は色濃く残っています。その反面、まだまだ“日本の職人技術は健在”で、広島の木造住宅は宮大工の手間ひまかける仕事も残っている時代です。さらに安易に「nLDK」という西洋式の間取りを取り入れた量産住宅方式にシフトする前の時代です。使い方の限定される「個室」への流行りが来る70年代以降失ってしまった、日本の居住特徴である「しつらい(室礼)」文化の残る間取りのモダニズムは、今とは異なるゆたかさをこの年代の建物が教えてくれます。

その建物を壊すか、残すか、価値観によって大きく異なります。現在の価値観では、もうこの年代の住居は取り壊されることの方が多いと思われます。しかし、この年代にしかない、そして数十年時をつむいできた素材、手仕事の跡は新しいものでは代替えができません。どうリノベーションするかも自由です。しかし、個人的には必要最小限で最大限の性能を確保しながら「古さ」を残し抜くリノベーションへの可能性を信じています。

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