時代背景を理解して間取りを見直す。今に活かせる生活の魅力が再発見できる。
時代背景を理解してリノベの改善ポイントがわかる。
この年代の構造特徴を理解してリノベの耐震補強計画の方向性が立てられる。
「家族中心でも人を招きたのしみたい家族向け」
ソフトオープンに「しつらい文化」を再活用
間取りの「機能重視」でnLDKタイプという個室重視で窮屈な住居が量産される前の時代がこの年代です。戦後住宅難を経験した上に、限られた資源・限られた財産で復興するしかなかった日本は住居を「接客重視型」から「家族重視型」へシフトしていきました。
しかし、この年代まではまだ少し「接客への意識」がみられる和室の続き間など日本の「室礼(しつらい)」文化が残っています。この間取りは現在からみるとリノベーションで魅力的な間取りにできます。部屋を「機能(使い方)」で限定して使い分けるのではなく、空間を使い方で変化させることのできる考え方を、この年代の間取りをきっかけに少しアレンジして見直してみるのも良いのではないでしょうか。
「質より量という表現が果たしてマイナスだけかどうか」
新しい耐震基準導入の時代を見抜く
1970年代「質より量」の政策が選択された時代から少しずつ耐震基準が導入され、防音性能も高まっていった80年代。
考え方によっては「日本の職人意識が残る中、住宅がつくられている。」解体した住居のつくりは「今では見られなくなった技術も残っていた。」これを現代の「人の手間が少なくなっているつくり」と比較して本質的に「質より量の時代」とマイナスイメージに捉えるかどうかは人それぞれ。
「日本の時代背景」
1970年 大阪万博
1973年 第一次オイルショック
1979年 第二次オイルショック
地価高騰
建築の業界では、1970年代から少しずつモダニズム建築は歴史的役割を終えたとする「ポストモダニズム」の時代へ。モダニズムの行き過ぎた機能主義や合理主義は世界を退屈なものにさせるのではないか?とされ表層的なデザイン操作がもてはやさせる時代へシフトしていった。しかし、80年代を全盛期に90年代にあっけなく消え去る。
乗用車の普及
乗用車の需要は1965年59万台に比べて、1970年は237万台。
1965年に名神高速道路、1969年に東名高速道路が開通しハイウェイ時代が到来する。
しかし
乗用車は1家に1台の時代。
敷地には1台分の駐車場が確保されているかいないか。
当時の駐車場は狭くて、屋根があったとしても現代の車からすると低いものも多い。
道路は次々に整備されていくも、まだ狭い。
エアコンの普及
一般家庭への普及率は1985年に50%を超える。ただし、リビングに1台が多い。
1970年代に暖房機能も備えたエアコンが開発される。
各部屋1台設置の普及まではいかず、当時の全体の電気容量は現代に比べてまだ驚くほど小さい。
(概略)1970年〜80年代の住宅事情
「郊外型大規模団地の歴史」
1970年代
郊外のミニ開発が極度に進行。1955年に設立された日本住宅公団の分譲集合住宅が大量に供給される。公団住宅は質より量の政策が選択された。都心から遠隔地に公的大規模団地が大量につくられた。各地で日照紛争が発生。住宅産業・不動産資本による住宅供給が大いに発達した時期。この時代のマンションは約28畳3LDKが主流に。「nLDK」という西洋式の間取りを取り入れた住宅タイプが増えていった。居間や寝室、食堂などの一つの部屋に一つの機能を持たせることが流行した。
1980年代
公団にとっては「高・遠・狭」と批判された時代。郊外に多くの新築の空き家を多く抱えた。マンションの欠陥問題が社会の注目を浴びるようになっていた。
「建築基準法の背景」
1970年代 少しずつ耐震基準が導入され、防音性能も高まっていった。
1971年の改正によりマンション内の鉄筋コンクリートの柱部をより強固なものに。
1981年6月1日(1978年の宮城県沖地震を受けて改正)新耐震基準。
「大地震が起きても人命に関わる甚大な被害が出ないこと」
・震度6強から7に達する大規模地震で倒壊、崩壊しないこと。
・震度5強程度の中規模の地震でほとんど損傷しないこと。
(その後、1995年の阪神淡路大震災で多くの木造住宅の倒壊が発生。「耐力壁のバランス」の重要性が説かれ採用される2000年6月1日交付の改正基準法へ。木造住宅の耐震基準を強化。耐震改修促進法制定。)
「災害と住宅遍歴」
1978年 宮城県沖地震(新耐震基準導入のきっかになる)
「住宅の構造遍歴」
1979年地震係数が改訂
「基礎」
布基礎形状でやっと鉄筋入り基礎を指定し始める。
「筋交い」
筋交いプレートが使われ始める。
「柱」
山形プレート(1979年頃から)
(その後、1988年頃からホールダウン金物が使われ始める。阪神淡路大震災で大きく差が出たのがホールダウン金物の採用・不採用だったと記録が残っている。単に「筋交い」を増やすだけでは耐震性能は高まらないことを証明してしまったかたちとなる。耐力壁が地震に対して抵抗する。耐力壁が破壊されるより前に柱が抜けるなどして耐震強度を失ってはならない。)
ちなみに・・・・
階段手摺設置義務は
2000年の改正建築基準法施行令から。
耐震補強から考えるリノベの注意点
建築基準法で耐力壁のバランスを計算するようになったのは、1981年(昭和56年)の建築基準法改正がきっかけ。
この改正は、1978年に発生した宮城県沖地震を受けて行われた。
この地震により多くの建物が倒壊したことから、耐震性能を向上させるための基準が強化された。
1981年の改正では、耐力壁の配置バランスや量が重視されるようになり、特に地震に対する建物の倒壊防止を目的として、壁量計算や壁のバランスが厳密に規定された。
この耐力壁のバランス計算は、建物全体の耐震性を確保するために重要で、壁が片寄らないように配置することが求められるようになったのが特徴。
この改正以降、日本の建物は耐震性が大幅に向上し、耐力壁の配置バランスが法的に義務付けられるようになった。
70年代の住宅は
リノベする時は既存建物の保有耐力を割り出して、配置バランスを計算することから始めると方向性が見えてくる。
80年代の住宅は
壁を抜く場合、既存建物の保有耐力のバランスを崩さないか考慮する必要がある。
「断熱材の施工・使用木材の特徴」
1980年〜1999年の木造住宅
床を断熱している住宅は全体の5割程度。床の断熱材には古いものでグラスウールが使用されている。その後、押出し法ポリスチレンフォームが用いられる。
天井の断熱は、床断熱よりも施工されている確率が高い。
1990年代から使用木材で「人口乾燥材」も徐々に使われるようになってきた。
(アルミサッシ+複層ガラスが徐々に増えるのは2000年以降)
(2003年以降内装材はF☆☆☆☆取得品を使用)
「マンションブーム」
1972〜73年 第三次マンションブーム
1977〜79年 第四次マンションブーム
1986〜89年 第五次マンションブーム
「1970年〜80年代の古い家の魅力」
冒頭に書いた文は僕個人、この年代の住居と向き合ってみて感じた意見です。実際に部分リノベーションを行う最初の解体作業でバラした部材には「今ではここまで造作の手間をかけない」と感心すらする造作技術が普通に使用されていました。割合の少ない部分的なものかもしれませんが、「刻みのできる熟練の大工さんが建売を建てている」時代でもあると思います。これを現代の「人の手間が少なくなっているつくり」と比較して本質的に「質より量の時代」とマイナスイメージにだけ捉えるかどうかは人それぞれだと思います。
前回の1950年〜1960年代の背景と合わせて「今ある日本の古い家(ビンテージ住居)」の価値を「物件情報と少しの写真」だけ判断せず、一つ一つの住居としっかり向き合って考えることは大切なのではないかと考えています。
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